くり~み~あじ~る

Notes Toward a Supreme Fiction

Diary 『不完全性定理とはなにか』竹内薫

 ミステリについて考えようと思ったので不完全性定理の概要は再確認したいと思って手に取ったけどなかなかわかりやすかったと思う。小説や伝記風の記述もあって飲み込みやすい。

 第一に紹介されたカントールにおいて、順序数と濃度の概念を導入する。順序数は自然数を無限に並べたときの順番を意味する。濃度は集合同士の大きさを比較する概念である。カントール自然数の集合の大きさをℵ0とする。次に自然数の集合の全ての部分集合の集合をℵ1とする。

 順序数と濃度は有限集合の場合は一致するが無限集合の場合は異なる概念である。例えば{1, 2, 3, ……, ω }の濃度はℵ0で順序数はωである。しかしこれを並べ直した{2, 3, ......, ω, 1}とすると濃度はℵ0だが順序数はω+1である。無限であるωの次の順序に1が並んだためである。

 次に考えるのが「実数も無限にたくさんある。でもその濃度は可算無限より大きいか?」である。段階を踏まえて考える。

⓪ 0以上1未満の実数を考える。

① 仮に0以上1未満の実数が自然数と一対一対応がつくとする。すると、0以上1未満の実数すべてを網羅していると思われる表を作成できる。

② この表の対角線上に並んだ実数はこの表のどこかに載っていると考えられる。

③ ②の実数の小数の位をすべてずらしてみる。

④ ③で作成した実数について考える。この実数は小数一桁目が異なるため表の最初の実数ではない。以下同様にn桁目まで考えるが、小数n桁目が食い違うため、この実数はこの表に載っていないと言える。

⑤よって表には可算無限の実数が載っていたが、「それ以外にも実数は存在する」。さらに、「実数の方が自然数よりたくさんある」と言える。

 可算無限ℵ0の次に大きな無限をℵ1とし、以下同様にℵ2と続くが、実数無限を単にℵとする。ここでℵ=ℵ1とする主張を「連続体仮説」と呼ぶ。言い換えれば可算無限と実数無限の間の濃度は存在しないという主張である。のちにゲーデルが「連続体仮説の否定は証明できない」ことを証明し、コーエンが「連続体仮説は証明できない」ことを証明した。少なくとも標準的な公理化された集合論において。

 決まった推論規則を順次適用していく作業が証明であるが、証明の出発点を公理と呼ぶ。ペアノは以下の五つを算術の公理とした。

① 数1は自然数

② aが自然数ならば(aの次の)a+1も自然数

③ aとbが自然数で等しい(a=b)ならばaとbの次の数同士も等しい(a+1=b+1)

④ aが自然数ならばaの次の数字は1ではない(a+1≠1)

⑤ 集合Sが1を含んでいて「aがSに属するならば(aの次の)a+1もSに属する」という性質をもつならば、Sはすべての自然数を含む

 ゲーデルは「ペアノの公理系を含む理論」が自らは矛盾を含まないことを証明できないことを示した。一方で「プレスバーガー算術」はゲーデル不完全性定理の適用を受けない。ペアノ算術においては「正しいが証明できないこと」があり、真であるが証明できないこともある。

 ゲーデルは基本的な記号を符号化した。ゲーデル数で重要なのは形式記号と数字の間の変換が1対1で行われることである。記号が並んで記号列になった場合、素数のべきの掛け算であらわす。

① 1変数の命題F(y)を網羅した一覧表を作る。並べ方はその命題のゲーデル数の小さい順とする。(F1番(y), F2番(y), ......)

② 「Fk(l)の形式証明のゲーデル数xが存在する」という命題を考える。これを

∃xP(x, k, l)

と略記する。

③ 命題∃xP(x, k, l)のkとlを変数yに置き換え、否定にした命題

~∃xP(x, y, y)

を考える。これは1変数を持つ命題なので①の一覧表のどこかにある。それをn番目とすると

Fn(y)=~∃xP(x, y, y)

④ Fn(y)=~∃xP(x, y, y)の変数yにnを代入する。

Fn(n)=~∃xP(x, n, n)

⑤ ④の右辺の内容は「Fn(n)の形式証明のゲーデル数xが存在しない」となる。対応するゲーデル数xが存在しないためFn(n)が証明できないことになる。一方で左辺を見ればそれはFn(n)なので「この命題は証明できません」という命題Fn(n)ができる。

 この証明は一種の対角線論法である。

 また真偽という概念は一種の「関数」である。命題論理では真偽表のすべての欄が「T」になっていることを意味する。真理関数の値が恒に真である。述語論理も関数だといえる。ゲーデルの証明は純粋に構文論の世界である。だが、「ペアノ算術を含むシステム」を考え、ゲーデル数の方法により、システム内の式をすべて「数」に翻訳してしまう。算術は数同士の関係に他ならないから算数の式として「真」であるにも関わらず証明できない、という状況となる。

 「意味」とは記号と記号外部との関係だが、ゲーデル不完全性定理ゲーデル数によってシステム内部に含まれる算術との関係性が生じるので意味が「自然と湧き出てくる」。

 チューリングの停止問題は不完全性定理のコンピュータ版とみなすことができる。

 というわけでざっと不完全性定理についての概観はまとめたというかさわりの部分は把握したのではないかと思う。

 特に目からウロコだったのは不完全性定理定理とはシステム内部での関係であるというところだ。ペアノの公理のそれ自体による非証明性はわかるけどそれを導く不完全性定理ペアノの公理に基づいているのでは?と思ったから、不完全性定理とは意味が「自然と湧き出てくる」というのはなんとなく納得できたし自分の問題意識と直結していると思った。まさにself reference asylumと言えるわけだ。

 とはいえこういう入門書程度の内容しか理解できていないし、数学的知識には乏しいのであまり深入りはせず、これをどうミステリに援用、あるいは比喩できるのかは理系の人にお任せする。とはいえふわっとメタファーとしての不完全性定理を利用するのもしょうもないのでもう少し勉強するか、黙っているかはっきりしたほうがいいかもしれない(と言えば言及できることは何もなくなってしまうんだけど)。

 ただこれを読んで数学における記号論や意味論もなかなか面白そうなのでこのへんもさらってみたらよさそうと思った。