くり~み~あじ~る

Notes Toward a Supreme Fiction

「ときめきドゥッカ」自作解題

 文学フリマ東京40で、短編集「ときめきドゥッカ」を頒布しました。同人誌としては三冊目になるのですが、今回はまえがきもあとがきもなく発行する形になりました。もともと、まえがき、あとがきは竹本泉リスペクトでつけたいだけで、自作解題は恥ずかしいし、苦手だったのですが、まったくないのも不親切かな、と思いました。プロットやキャラクターで語るタイプではないのは意図的ですし、自覚的で、なら、何を書いていたのか、試みたのか、ある程度説明するのは、生産者責任かもしれません。

 最初は「ときめきドゥッカ」にもあとがきを書いていたのですが、反省会になってしまったので、削除しました。これがダメ、あれがダメって読まされる側には鬱陶しいですし。そういうの抜きで、フランクに解説していきます。

 タイトルの「ときめきドゥッカ」は、ノリで決めました。ドゥッカは仏教で「苦」を意味します。生につきまとう根本的な不満足感、無常感です。フォロワーから、「東方のスペルカードの『秘儀 マターラドゥッカ』が由来ですか」と指摘されましたが、半分くらいそうかもしれません。前作が「憑坐顕現経路」で八雲紫だったので、今作は摩多羅隠岐奈かな、と無意識に思ったのかもしれません(今書きながらこじつけた)。収録作含めて、タイトルはわりと書き終えてから雑につけるので、あまり由来を覚えてないです。登場人物の名前も適当なので、よく苗字がかぶったりして困ったり、こいつ名前なんだっけ? が頻発しています。それはどうなんだろう……。

 最初の収録作「池鏡」は2024年9月ごろに書きました。林芙美子文学賞への応募作です。一次選考通過でした。2024年は、上海アリス幻樂団のアルバム「七夕坂夢幻能」をヘビロテしてまして(やっぱり東方じゃないか!)そのあたりからインスピレーションを受けました。柳田邦男の「禁忌習俗事典」に実際に「池鏡」という項目がありまして、作中で引用した通りの池に家が映るのを忌む禁忌です。最初は用水路沿いの家で設定していたのですが、別に家の影映らないよな、と思って、子ども用プールにしました。演劇のモチーフも、作中で「夢幻能」と言わせているし、すごく「七夕坂夢幻能」ですね。子ども用プールから、使わないプール、使われなかったプール、羊水、死産した姉、と連鎖的なイメージで書きました。意識の流れというか、イメージの連鎖で書きがちなのですが、これはけっこうストーリーが比較的強いですね。主人公は正直頭の変な人なんですけど、それを否定も肯定もしたくない気持ちでは書いています。それは他の小説にも通底しているかもしれません。

 次、「合成人間」は2024年10月ごろに書きました。ブンゲイファイトクラブの応募作で、原稿用紙六枚以内縛りでした。二次選考通過でした。「合成人間」という言葉は富沢ひとしの「プロペラ天国」から拝借しました。なので主人公の名前が「ひとし」です。ちゃんと「プロペラ天国」に合わせて、「合成人間」と、「天然人間」じゃなく「普通人間」にすればよかった。心理ドラマで書こうとした形跡がありますが、葛藤を止揚するようなドラマ作りは避けていますね。ある意味、葛藤が遮断される心理に関するドラマだったかもしれません。

 「ひみつエージェント中野ゆりね」は創元SF短編賞に応募しました。コンセプトとしては、富沢ひとしの「エイリアン9」、青木淳悟の「私のいない高校」、「ラブライブ!スーパースター‼」のミックスでした。ただ、青木淳悟の文体オマージュは難しかったです。学校文書的な無機質さ、それこそ、「エイリアン9」で集中線もなく手足が切断される描写のようなを目指して書いていました。「ラブライブ!」要素はすぐどっか行きました。もともと、SFということで、キッチュな設定を使いたくて、「イヤボン」(エスパー少女が「イヤー」って叫んだら敵の頭が爆ぜるやつ)か「宇宙人の侵略」のどちらかを書こうと思ったのですが、それも混ぜちゃいました。初稿はもっとだらだら小学校の日常を書いていて、文字数オーバーだったので、応募用に泣く泣く切り詰めました。内面、特に中野ゆりねの内面は絶対に書かないぞ、とルールを決めて書いていました。エンタメSFですが、プロットとキャラクター「ではない」方法を積極的に推し進めようとしていました。というのも、ストーリーにはもううんざりしているところがあって(もちろんストーリーがあるものも楽しむのですが)自分が書くことじゃないな、と。かといってハードな方法では、「けっきょくSFはレムの『天の声』で終わりよね」という気持ちがあって、どうにかできる範囲でオルタナティブな基軸を模索していました。若干パラノイアじみて虚無的で不穏な感じは出ていたと思います。

 「仮身体中世術」は太宰治賞に応募しました。2024年11月ごろに書きました。執筆は、同時期の「私のショッピングモール」よりあとになります。個人史の中に、歴史的時間が顕現する、というアイデアで書こうとしたものの、歴史には疎いので、「模造された西洋中世」という倒錯した時間感覚がコアになりました。錬金術といえばホムンクルスよね、という安易な発想で、実際の生殖、ホムンクルスの不可能性からの逃避、自己憐憫的な性交渉とモチーフが広がった感じです。設定はともかく、文章を進めるのにけっこう苦労しまして、主人公の内省だけでほぼ進行していたからかもしれません。模造物の対比として、現実のITを取り入れました。もっとも、ITも主人公には「模造された現代」なのかもしれませんが。全体的に、偽物と現実逃避の話だったかもしれません。自覚している狂気を正当化するために、あらゆる情報を解釈している感じの主人公ですね。なんでこんな人が結婚して子ども作れたんだろう(笑)

 最後の「私のショッピングモール」も11月に書きました。やまなし文学賞の応募作です。収録作だとこれが一番お気に入りかな。地元のいくつかのショッピングモールの光景をパッチワークしました。さすがにコイン投げはフィクションですが。ショッピングモール全体に「私」という自意識が拡大、浸透する様を書きたくて設計しました。自意識の拡散と浸透は他の作品でも書きがちで、アイデンティティ流動性というのは自分のメインテーマかもしれません。劇中のアニメとアニメソングは「ミュークルドリーミー」からの引用です。ということは、劇中設定は2020年か。意図していませんでしたが、コロナ禍まっさかりなので、その閉塞感があらわれていたのかもしれません。神秘体験の話なので、案外宗教小説かもしれません。サンリオは宗教? 人物造形は、浸透、拡散する「私」から逆算されて、かなり「私」の投影としての類型が強いです。特に娘のまりかは三歳児のする発言じゃないですが、そこのリアリティよりも、主人公自身であり、過去であり、未来である象徴性を優先しました。こんな不気味な子どもがいたら、「私」みたいにアンビバレントな気持ちを持つのももっともかもしれません。

 というわけで、ざっくり解説でした。基本、どう読むかは読者に任せたいので、あくまで作者は当初(あるいは書き終えてみて)こう意図していたよ、という補助線くらいで。あまり、一義的に読みが確定するテクストは書きたくない気持ちがあります。その点、「ひみつエージェント中野ゆりね」はどう読まれるかを強く意識して書いたので、異色かもしれません。ジャンルSFを書いたつもりでしたからね。2024年末は、どうにか読者との接点を増やそうとして、ポップカルチャーへの目くばせや(これは単なる趣味でもありますが)、実在の地名で人物を配置したり、自分の実際のエピソードを盛り込んだり、試行錯誤していましたが、「私のショッピングモール」あたりから、嘘話でいいやって割り切ってきた気がします。それがいいのか悪いのかはわかりません。プロットとキャラクターをやめるって方向性は間違ってない気がします。書けないので。それ以外――象徴の螺旋展開や文体のうねり、コアコンセプト――で勝負できるように頑張りたいですね。

 

 以下、「ときめきドゥッカ」の通販リンクです。「池鏡」「合成人間」はカクヨムで公開済みですが、他は今のところ公開予定はないのでぜひチェック!

 

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